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2009/7/27
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天気の変わり目は心身どちらかが不調になるが、今回は発熱して寝込んだ。というかまだ発熱しているので寝ている必要がある。

明日名古屋歌会があるが、発熱していては仕方ない。青柳さんに電話したら、欠席なら連絡はしなくていいから、インフルエンザに気をつけるように言われた。

今、名古屋歌会の事務方とか司会は彼女が要で、住所が代わったということは、もしかするともう介護する必要がなくなったのかもしれない。(そういう歌も書いておられる)

はじめてあったとき、若々しい顔なので、学生かと重いため口をきいて、私より相当年長の人だと聞いて青ざめたことがあるがそれ自身で怒られたことはない。学校の司書教諭をやっている方で、まあ卒業生でまだ学生してる人間に真剣に怒っても仕方がない、と思われたのかもしれない。


熱があるときはたびたび思い出す 文机に入れた薄荷パイプを ゆふ
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どうやらベトナム戦争が始まった年らしい、北爆というのが始まった。夫がひと回りくらい年上なので、その辺はどうやらわかっているらしい。

とにかくいろいろ地球規模で荒れ始める年である、次の年はいわゆる丙午だが、先の丙午の人はもう100歳を超えているということだから、ただでさえ少ない(たぶん丙午の伝説丸々信じて産みびかえ?)

1966-60、1906年というとええ、明治か大正か???

何か歴史的に荒れてたとか、疫病がはやったとか、なかったのかなあ…世情が騒然とするのがこの年あたり、という何かの注意なのかもしれない。

歴史に詳しい人、お教えください。私は年号というともう頭が真っ白で、本来の歴史をつかんだのは何と大学入学後でした。ただし東洋史は多少流れをつかんだという程度です。

昔の言い伝えは何か理由がある。もしかすると1906ねんころは日本か、アジアが荒れてた?

とにかく1965年前後、ただ眠っていた赤ん坊が大学生になり「全く何も、戦争を知らない子供が学生になってちょっと上の人間に戸惑われているようだった。
今日は小雪だそうで、イギリスはたぶんこのころにはもうクリスマスプディングを作り始めていたはずだ。今はともかく古式ゆかしい方法だとそうなる。

私は何の小説家でそのレシピを見て仰天した。牛か豚か、その内臓とか脂とかも入るのである。もちろんベリー類も入るときが多い。プディングというのは、日本ではプリンのようなものだと覚えていたそのころの私には信じがたいことであった。まあ、あれも動物性の原料だが茶碗蒸しが甘くなって具がなくなった、というのが受けたのかもしれない。

ポワロが出てくる小説のひとつで「クリスマスプディング」が小道具であるミステリーがある。あまりに多いアガサ・クリスティーの作品名を私は覚えられないので、図書館で新鮮な気分で借りたらもう読んだものだったりする。

とにかくプディングに金貨や指抜き、ボタンなどを隠すそしてその人の将来が占えるという少年少女にはおおうけな食べ物なのだろう。ポワロのプディングにはボタンが入っていた。終生独身をとおす意があるが、実際彼はそういうことだった。「ねえ、おじさんには何が入っていたの?」「ん、秘密だよ…」なかなかペーソスのあるポワロである。事件については何らかたっていない、そういうのがルールである。

余談ながら黒田様へ

栗木さんとお会いしました。同県人だったのです。結婚して間がなかったので、「まぁ、結婚してるの?仲良くね」とちょっと驚かれた風でした。

実は昨夜から六時半ころまでぜんそくの発作で七転八倒、やっと眠ったら火災で焼けた換気扇を変えてくれる人が現れた。

とにかく火災で汚染されたものを捨てないとぜんそくは治らないよと、住宅公社の人に心配されて明日業者が来ることになっている。まあ半分はうちがまた火災を出す心配だが。

とにかく家事援助の相談や、発達障害に強い近くの病院を調べてもらっている。

喘息はさすがに、きれいにするしかどうにもならない。

ただこのさんさんたる家を見られるのはすごくはずかしいし、団地のスズメに何言われるかわかったもんでないので憂鬱なのは確か。

でも民間だったらここまでのフォローはないしな。ボーナスまで待ってとも言えないし。
今日はアメリカ基地と、横浜で銃の事件があった。日本で銃の事件というのはかなり特殊だがアメリカでは刃物と一緒のレベルな気がする。西部劇をよく見る夫は、飛び道具を使うのはやはり邪道の戦いで喧嘩は一対一、素手の殴り合いがいいらしい。(昔のヨーロッパではなぜか貴族の決闘は拳銃でするが)

いろいろ犯罪を犯した人間をどうこう言うことはできる。裁判員になれば裁くことまでできる。でも、いきなり凶悪犯で生まれたわけではない、それだけは言える。最初はただ泣くだけの赤ん坊だった。


なぜか10才前の子供は、特に女の子だが好んで女の子の絵を描く。自身に見立てているのか、憧れか何でもいいが、「遠近法のない」書き方をする。10才ころには遠近法のある絵の描き方を学び始めるが自由に書き散らすときはそういう書き方をする。

10才をすぎると絵を好むこどもはそれなりな書き方を始める。そして男女の遊びがはっきり違ってくる。同じ面もあるが、女子は動き回るのはあまりしない。男子は動き回ってばかりいる。

小学校の一二年では、三角ベース(野球の前身)をしている上級生を興味深そうに見ている子は見ているが、上級生が気が向いたとき少しだけ「味見」させてもらえる。「味見」だからゲームには関係ないことにしておく。で、うまくなるとメンバーが足りないときは入れてくれる、常連になる。
(このだんかいでは女子もいれてくれる)


私は三年生で転校して、四年生で近所の少年少女混成ソフトボールチームに入った。うちのチームはぎりぎりなのでへっぽこな私でもレギュラーだった。ライト八番と言えば、ソフトや野球を知ってる人なら、へっぽこなのがわかる(ただプロの打順と守備は、いろいろあるので何とも言えないと思う)私がなぜか得意になってしまったのはバントである。完全に球の勢いを殺すのかキャッチャーよりやや遠目にコロンと転がるので、私を仕留めても走者がいれば進塁する。

高校時代に、別のチームで五年生女子でエースピッチャーだった子が言うに私は「いやなバッター」だったそうだ。私の打順にツーアウトであるか、走者が居ないか祈ったという。極端にバントシフトを敷いても、進塁されるので困ったそうだ。私は足が遅いため「私」をアウトにするのは簡単だが、塁に韋駄天のごとき走者がいたら一点取られかねない。ピッチャーがとても嫌なんだそうである。

まあ小学生や体育の授業の話であるが。
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