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2009/7/27
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団地の児童公園の、日当りがいいところの一枝、一塊咲いた。しかしこのところ雨で、気温が低い。花持ちはいいが開花は続かないかも。

私は胃腸風邪で苦しい。
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私より一世代くらい上の、障害者の話。先天性の人はさほどそうは思わない。何かで脊椎損傷とか頚椎損傷になった人が、一応回復して施設に入れられると、とにかく死ぬことを考える。で、年齢が若いのでがむしゃらに這って屋上へ行こうとするんだけど、まず、階段の最初の段を登ることがどうしてもできない。(別に階段は普通の階段である)

で、しばらく呆然としていて、それを過ぎると

「とにかく何かしよう、生きよう」と思う。

そうした人に当時の施設の環境は悪くて、個人のガッツとか努力ではどうにもならないので、数十人の単位でさまざまなことを「しでかして」自由を少しずつ手に入れたらしい。

先天性の障害を持つ人は、物心つくかどうかで施設に入っているので、ただ親が恋しいばかりだったとか、それで両親がいさかいをして別れたとか、また別の苦労をするのだけれど。
朝六時過ぎに夫が自分の朝ごはんを買ってきたが、みぞれが降ってるということだった。で、楽観的な気分でいたら小牧や岐阜から作業所へ通おうとしている人、車椅子の人だが、まず家から出られなくてという状態だそうだ。

私は歩くことはできるが、そうなると転ぶという危険が付きまとうな、と思うので外出は控えている。

寒さで体調を崩し自宅で仕事をする人や、寝込む人も続出。

健康な人からは考えられないほどの影響があった。
■■■
 昔野菜ジュースか何かの宣伝にあったと思う。ただよしというのは漢字で書けば「忠義」だろう。私の高校のリーダーの先生はまさしくこの名で、私たちの高3の担任(教科は古文)は昭義だ。古文の先生は父と同じ年だ。すなわち戦時中の生まれである。もっとも彼らは学齢前に終戦を迎えるが。

あのCMは単身赴任か、都会へ出て行った息子への言葉だろうか?私たちの世代にはそういう名前の子はいない。
どうやらベトナム戦争が始まった年らしい、北爆というのが始まった。夫がひと回りくらい年上なので、その辺はどうやらわかっているらしい。

とにかくいろいろ地球規模で荒れ始める年である、次の年はいわゆる丙午だが、先の丙午の人はもう100歳を超えているということだから、ただでさえ少ない(たぶん丙午の伝説丸々信じて産みびかえ?)

1966-60、1906年というとええ、明治か大正か???

何か歴史的に荒れてたとか、疫病がはやったとか、なかったのかなあ…世情が騒然とするのがこの年あたり、という何かの注意なのかもしれない。

歴史に詳しい人、お教えください。私は年号というともう頭が真っ白で、本来の歴史をつかんだのは何と大学入学後でした。ただし東洋史は多少流れをつかんだという程度です。

昔の言い伝えは何か理由がある。もしかすると1906ねんころは日本か、アジアが荒れてた?

とにかく1965年前後、ただ眠っていた赤ん坊が大学生になり「全く何も、戦争を知らない子供が学生になってちょっと上の人間に戸惑われているようだった。
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